ミリイ 少年は空を飛んだ(1986/米 ニック・キャッスル) ★★

ミリイ 少年は空を飛んだ [DVD]

 空を飛ぶ自閉症児の話。何を言ってるのかわからないかもしれないけど、本当にそういう話なんです。序盤は自閉症児が空を飛べるのか飛べないのか割とぼかされてて。で、中盤で主人公の女の子がそいつと空を飛ぶのだけれど、それが夢だったかもしれないみたいな話になって、「あれ? ひょっとしたら別に空飛べるわけじゃないの?」と思わせられる。

 そこから「もしかしたら女の子は誇大妄想狂で、自閉症児が空を飛べると思い込んでる話なんじゃないか?」なんて疑い出して。「あんた!私の話がほんとだってみんなに証明してみなさいよ! 飛びなさいよ! 」とか言って、高所から自閉症児を突き落とすシーンなんかが用意されてるのかも…と不安になってくる。一旦そういう風に見始めると、なんかふとしたシーンでも女の子が精神的にヤバイ子のように見えてきて、最後に屋上から二人で飛び降りるシーンでは「うわ! その結末は悲惨すぎるって!」と完全に絶望しかけた。まぁ、そこでビューンって飛ぶんですけどね。だって普通のファンタジー映画だから。


死んだ方が面白かったなとか、別に思ってないですよ。

M-1よかったなー

 去年は観終わった後「うーん」という感じがしてしまったけど、今年は普通に手に汗握ってしまった。「なんで決勝に出てこないんだ!」と思っていたオードリーが敗者復活で選ばれたところからテンションが上がり始め、「決勝の3組が全部面白かった」という事実に感動して泣きそうにすらなった。面白いことを考える、漫才をする、ということを心底リスペクトできる素晴らしい大会だったと思う。以下、「人はなぜお笑いを批評してしまうのだろう?」と思いつつ雑感。



●ダイアン
 昨日松本さんと話した時に「ダイアン」の名前が出て、「ダイアン、去年はあんまり面白くなかったからなぁ」と言ったら、「今年のダイアンの寿司ネタは違うよ!」と一喝され、you tubeの動画まで見せられた。それは確かに面白かった。だからてっきり寿司ネタをやるんだと思ってたら、時節を考えてかネタの構成を寿司からサンタに変えてきていて、正直な話、完全にパワーダウンしていた。トップバッターの不利があったし、どちらにしろ決勝は難しかったかもしれないが、少なくとも寿司ならもっと得点とれてたはず。変に季節感出すより、寿司の力を信じてあげて欲しかった。上戸彩も「リアルタイムなネタでしたね」と言いながら、「寿司の方がよかったのに」と思っていたことだろう。


ダイアンの寿司ネタ




笑い飯
 「散髪したことある!」は笑ったけど、笑い飯の評価がなぜこれほど高いのか毎年釈然としないものは感じてしまう。まぁ単に好みの問題か。



モンスターエンジン
 序盤の洋画的な悪ノリは好きだったが、大舞台でやるネタとしてはあまり「格」が感じられなかった気がする。神々シリーズのようなぶっ飛び方をして欲しかった。たとえ結果的に千鳥みたいになったとしても。



●ナイツ
 下馬評では「ナイツじゃないか?」みたいな話がチラホラ出ていて、確かに笑いの数は多いけど、一個一個のボケがただのダジャレだったりもするので、「優勝」まで突き抜けるスケールはないのではないか?という気がしていた。でも「城でテンションが下がる」とか、「メガネでウケる」とか、流石にただのダジャレ以外にも面白いのをもってきていたなぁ。詰め込むスタイルが評価されているが、ツッコミがかぶり気味に入らないと処理できないボケ量というのはマイナス面もあるのではないだろうか。



U字工事
 審査員がほとんど関西人なのに、関東ローカルネタで決勝に残るというのもある意味凄い。関東人が九州出身の漫才コンビにあんまりピンとこない、という感覚と似ているのだろうか。 埼玉に住むのは非現実的、というボケが面白かった。


ザ・パンチ
 ぎこちない部分があったが、おにぎり追い越せよ〜、とか面白い。パンチに喋らす時間を長くするより、こういう酷いことをいっぱい言って欲しかったなぁ。



ノンスタイル
 ツッコミの方がいつも漫才終わった後にちょっとかっこつけるのにイラッとしていたけど、今日はほんとにかっこよく見えてしまった。なんだろう、この真っ直ぐさ。斜に構えたところとか、醒めたところが一切ないにも関わらず面白い。熱血で健全なのに面白い。そんなことあり得るのか? あり得た!ツッコミの後にもう一度自分でツッコんで笑いの箇所を増やすという工夫に感心した。ジャンルは違えど、バンプ・オブ・チキンと同じようなポジションにいると思う。



キングコング
 本当に面白くなかったし、去年からの変化も感じられなかった。ノンスタイルの真っ直ぐさは面白いのに、なんでキングコングの真っ直ぐさはイラッとくるんだろうな。 でも西野さんのブログは時々「いいこと言うやん!」と思ってますよ!



●オードリー
 キング・オブ・コメディ、東京03と同じぐらい好きなオードリーが一位で決勝行った時は血液が沸騰した。決勝のネタをいつものスタイルと変えてきて、「あ!どうだろう!」と思ったけど、今まで見たことのない立体感のある漫才に戦慄が走った。凄すぎる! ノンスタイルとの差は「正統派」というところを重く見ての結果だろうが、「新しさ」を評価してのオードリー優勝でも全くおかしくなかった。来年は優勝だ!




三連単はオードリー→ナイツ→ノンスタで外れ。


関係ないけど、今まであまり関心のなかった上戸彩が今日はやたらと可愛く見えてしまった。

サンキュー・スモーキング ★★

サンキュー・スモーキング (特別編) [DVD]

 健康志向で白熱する嫌煙運動の中、タバコ会社の広報という仕事を選んだ主人公の策謀と転落、そして自己発見の物語。とか言うほど大した話ではなかったが、瞠目したのはニコチンパッチのあの使い方! ニコチンパッチであんな凶悪なことができるとは知らなかった。家族の誰かに煙草をやめさせたければ、あんな強制措置もありかもしれないな。嫌煙テロってのがそろそろ出てくるかもしれない。

エレクション(2005/香港 ジョニー・トー)★★★

エレクション~黒社会~ [DVD]

 香港黒社会のボスを民主的に選挙で選ぼうとする話。一旦は人格者のロクで行こうということに決まりかけるが、もう一人の候補である武闘派のディーがゴネはじめ、ボスの証である「竜頭棍」をめぐって抗争が始まる…。ロシアンマフィアを描いた傑作『イースタン・プロミス』もそうだったが、香港マフィアを描いたこの映画でも銃は全く使われず、武器は主に鈍器中心。実際マフィアというのはほとんど銃を使わないらしい。


 ひと頃の犯罪映画と言えば過剰なぐらいの銃弾が飛び交うのが当たり前だったが、最近はリアル志向というのか、人気のない路地裏でサクッみたいな映画が増えてきているように思う。刃物や鈍器は人を殺すまでに時間がかかるが、それだけに「命のやりとりをしている!」という凄味が増すように感じられる。丸太ん棒で何回もぶん殴った挙句、しかもその後片付けまでしなくちゃいけないという面倒臭さ。パチンコみたいな銃で一発パシュンとやるのとは、段違いの生々しさがやはりある。この映画のラストでも爆発するような驚きの殺しのシーンがあるが、その重労働ぶりといったら…。人を殺すまでに越えなきゃいけないハードルで「面倒くささ」というのは結構重要な位置を占めていると思うので、こういう「殺しの面倒くさい部分」を描く映画はもっと増えて欲しい。

怒りの葡萄(1940/米 ジョン・フォード) ★★★

怒りの葡萄 [DVD]

 姿の見えない資本主義という化け物にいつの間にか住む土地を奪われた貧農の一家が、ポンコツトラックに一家全員と全財産を乗せて、葡萄積みの仕事があるというカリフォルニアを目指す。しかし夢の新天地と思っていたその場所で彼等を待ち受けていたものは、最下層の労働力として資本家に搾取され続ける生活、人間としての尊厳さえ保てなくなるような悲惨な現実だった。この惨状に憤り、人間らしさのために戦うことを決意したヘンリー・フォンダが母と別れて旅立つラストシーン、「もうお前の顔を見ることができなくなる」と嘆く母に、己の偏在を説くフォンダの言葉が重い。

人の魂は大きな一つの魂の一部に過ぎない。万人の魂は一つだ。だから心配いらない。おれは暗闇のどこにでもいる。母さんの見えるところにいる。飢えて騒ぐものがいればその中にいる。怒り叫ぶ人の中に。食事の用意ができて笑う子供たちの中に。人が自分の育てた物を食べ、自分で家を建てればそこにもいる。


 いくぶん宗教がかってはいるが、蔑まれ傷つけられてきた人間が自分より大きなもののために立ち上がろうとする意志は心を打つ。宗教家の強いわけが何となくわかる。

牛泥棒(1943/米 ウィリアム・A・ウェルマン) ★★★★

牛泥棒 [DVD]

 「うわぁ」と思う後味の悪い映画と言えば、自分が観た中ではヴィットリオ・デ・シーカの『自転車泥棒』とか『ファニー・ゲーム』があげられるが、この『牛泥棒』も相当なもの。牛泥棒の嫌疑がかけられたカウボーイ3人が住民の集団リンチにかけられ、「もっとしっかり裁判をやるべき」という少数派の声も届かず、あれよあれよと縛り首にされてしまうという内容で、処刑した後で無実だったということが判明する。無実の善人を処刑した後、酒場のカウンターで「やっちゃった…」とうなだれる住民の表情に、こっちまでが絶望的な気分になってくる。

 処刑されたカウボーイが最後に残した妻あての手紙に、「彼等は煽られていただけで、本当はよい人達なのです。一生このことを背負っていかなければいけない彼等が可哀想です」などと書かれているところは本当に胸に迫る。個々人では善人であるはずの集団が思考停止し、「正義」の御旗の元に暴力を行う結果は常に悲惨である。その集団の中で「間違っている!」と叫ぶ勇気があるかどうか、強烈に問いかけてくる映画。内容が濃い上にキリッと76分で締める素晴らしい映画だが、主人公の前の彼女が出てくるシーンがまるで不要な気がする。あのシーンはなんなんだろう。