ロッキー・ザ・ファイナル

ロッキー・ザ・ファイナル (特別編)
 生きていると、時々自分のやってることなんて何の意味もないんじゃないかと思える時がある。これからやろうと思っていること、やりたいと思うことはある。それなりに幸せかもしれないと思うこともある。しかし、時折どうしようもない息苦しさ、虚しさがこみ上げてきて、自分のやっていること全てが煩わしく感じられる。果たして自分のやろうとしていることに意味はあるのか? それをやったところでどうなるのか? それで何かが変わるとでもいうのか?

 例え変わったところで、それは瞬く間に「過去」となる。自分以外の人間にとってはどうでもいい、あってもなくても同じような過去。自分が消えれば、やがてそれは思い出されもしなくなるだろう。本当に、瞬く間に。一体自分という存在が何故生かされているのか、何をするために生まれてきたのか、本当にわからなくなる時がある。

 だがそれでも、とロッキーは言う。だがそれでも、打ちのめされても、ひたすら前に出ろ。痛みや苦しみから逃げるな、自分の弱さを他人のせいにするな。打たれても打たれても、立ち上がり少しずつ前に進んだ奴にだけ、人生は勝利をくれる。

 勝利というのが何なのか、自分にはまだわからない。それがどんなに気高い勝利であったとしても、瞬く間に「過去」となることは同じ。それも映画の中のロッキーが証明している。でも、それでも、自分はロッキーのように生きたいと思った。例え全てが虚しいことであったとしても、どのみち生きるのならロッキーのように生きて、覚悟を、決意を、証明を、男としての矜持を語るのだ。死ぬ時に、「自分はできる限りのことをした」と思えるように生きるのだ。そして自分の心の中のロッキーに言ってやるんだ。「ロッキーよ、私は打たれても逃げなかった。いい人生かどうかはわからないが、私はともかく前を向いて戦った」、と。


死ぬ時に、自分の中のロッキーに顔向けできないような人生。それだけは、絶対に勘弁だ。